2018年11月16日金曜日

小論文の書き方⑧:言葉づかい

小論文向きの言葉遣いとは

日本語には大まかに二つの言葉、話し言葉と書き言葉があります。

当然のことながら、皆さんが小論文で書くべきは書き言葉です。

このブログでは皆さんが読みやすいように、話し言葉をまじえながら書いていますが、小論文の試験では皆さんはもっと硬い表現を心がけてください。

思いつくままに文章を書いているとどうしても話し言葉になりがちですが、それをそのまま文章として書くのではなく、必ず書き言葉に翻訳するという作業を心がけるとよいでしょう。

迷ったらなるべく硬い表現を選ぶことです。


たとえ内容が同じであっても、口語調のやわららかい文章よりは、少し形式ばった書き言葉で書かれた文章のほうが「なんかレベルの高いこと言ってそう」とか「頭よさそう」とか、そんな印象を与えるんですよ。

ただし、自分でもよく意味のわかっていない言葉や古い表現、今ではあまり使われなくなった言い回しなどは避けてください。


悪い例              よい例
なので     →     したがって、だから、それゆえ、そのため、
みたいな   →     のような、など、
そういう    →    そのような、そういった、それらの、
なんかの   →    などの、のような、
お金持ち   →    富裕層、裕福な人、豊かな人、


「です・ます」調も避けてください。

小論文など公的な文章では、文末は「~です」や「~ます」を使わず、「~だ」「~である」「~と考える」などを用いるのが普通です。

また、男性の場合、一人称として「ぼく」や「僕」を使う人がいますが、これも避けたほうがよいでしょう。

小論文では「私」です。

2018年11月10日土曜日

小論文「あるある」②

自分の意見ではなくみんなの意見を述べている


小論文ではあなた自身の意見を述べることが重要です。

たとえそれが課題文の筆者の意見と同じものであったとしても、あなた自身の意見として、はっきりと主張してください。


何らかの意見を主張する時に、それを自分自身の意見としてではなく、日本人一般とか世間の人々とか、場合によっては人類とか、そういった不特定多数の人々の意見として述べるのはよくない。

例えば、「・・・であると考えるのが普通であろう」とか、「・・・とほとんどの日本人は言うだろう」とか。

こういう書き方はよくない。


意見を主張する際の主語は必ず「私は」「わたしが」です。

「日本人」や「多くの人々」ではありません。


結論に関しても同様です。

「我々みんなが真剣に議論していかなくてはいけない」とか、「これからの日本にとって大きな問題だ」とか、こういうのは良くないんですよ。

これから議論していくとか、考えていくべきではなく、現時点であなた自身がどう考えるのか、それを明確に書かなくてはいけない。


普段、授業で小論文を指導していると、こういったあいまいな主張や結論を書く人がわりと多いんですよ。

理由はいくつか考えられますが、まず第一に我々は普段のコミュニケーションにおいて自分の意見をはっきりと主張するということにあまり慣れていない。

むしろそれをぼかして表現することがマナーや礼儀となっている。

これは外国人からよく指摘されることですが、たしかにこういう面はいまだにとても強くあると思うんですよ、日本語でのコミュニケーションにおいては。


で、二点目として、そのような日本語的コミュニケーションが、新聞やテレビといったマスメディアの表現においても、あるいは政治家の発言などにおいても踏襲されている。

「これからの我々にとって大きな問題ですから、しっかりと議論していく必要がありますね」なんてこと、テレビの司会者やニュースキャスターも政治家も、皆さん言いますよね。

あなた自身はどう考えるの?どう思っているの?って、ついついツッコミたくなりますけど、それははっきりとは言わないことが多いですよね。

で、こういうのを毎日聞いているから、いざ論文を書くとなったときに、ついつい我々も同じような言い回しで結論を書いてしまう。

「難しい問題だ」で終わってしまう。

これではやはり、小論文としては不十分なのです。


小論文を書く際には、普段の日本語的コミュニケーションからはいったん離れて、自分自身の意見を明確に主張しなくてはいけない。

現時点であなた自身はそのテーマについてどう考えているのか、結論ではそれをはっきりと述べなくてはならない。

この点を常に意識して取り組む必要があります。


2018年11月5日月曜日

小論文「あるある」①

気がつくと課題文と同じことを言っている。
自分の意見を述べるべきなのに、課題文の要約になっている。

課題文を踏まえて自分自身の意見を主張すべき論文で、主張も論拠も課題文の筆者と同じ、課題文の要約を書いてしまう方がけっこういます。

もちろん、主張は課題文と同じでもいいのです。

しかしながら、主張が同じであれば論拠は課題文で取り上げられていないものを挙げる必要がある。

課題文の筆者と同じ意見を別の角度から述べる必要があります。

でなければ、それはあなたの論文ではなく、課題文の要約になってしまいますよね。


なぜこのようなことになるのか?


理由はいくつかあると思いますが、まず一番多いのが、課題文で取り上げているようなテーマについて、これまで一度も考えたことがないので、自分自身の主張や論拠を思いつかない。

だから課題文にどうしても引っ張られてしまう。

課題文の主張がすべて正しいと思ってしまい、それを疑ってみるとか、相対化してみるといったことができない。


次によくあるのが、課題文として取り上げられるような本や論文を書く人の意見なんだから、自分の意見や考えよりも優れているに決まっている、これに反論しても無駄だと思ってしまう。

こういう権威に弱い人が意外と多いんですよ、特に若い人は。

もちろん、謙虚であることは必要ですが、論文を書くからには何かしら自分の意見を主張しなくてはいけない。

課題文はいつも正しいとは限らないし、おかしな主張や非論理的な主張をしているものもけっこうあります。

課題文の主張は常に正しいとは思わないことです。


三番目として、課題文に反論すると点数や評価が下がるのではないかと思っている人がけっこういる。

試験の問題としてその文章を出してくるからには、出題者はその課題文の主張を正しいものとみなしているのだろうと、勝手に推測してしまう。

で、それに異を唱えたりすると、出題者の印象は悪くなってしまい、結果として点数や評価が低くなってしまうのではないか。

だから、課題文の筆者の主張には逆らわないほうがいいんじゃないか。

こんな風に考える人が、意外なことにけっこういるんですよ。


でも、そんなことは決してないですから、安心して反論してください。

課題文とは異なる論拠を挙げてください。

小論文の評価は意見や立場によって差がつくということはほとんどありません。

あるテーマについて、賛成と書いたから評価が高くなることもないですし、反対と書いたからと言って点数が低くなるということもありません。

大事なのはそのような意見の論拠がどれだけ論理的かつ明確に、わかりやすく書かれているか、説得力があるか。

ここで評価が決まります。


主張も論拠も課題文と同じでは、オリジナリティが全くありませんから、評価は低いものとなってしまいます。

なので課題文と同じ主張をするのであれば、課題文とは異なる論拠に基づいて議論を展開する必要があります。