2019年1月15日火曜日

小論文「あるある」⑤

リアリティのない「解決策」

(前回の続き)

最後に3番。

リアリティがない解決策を書いても仕方がない。

その解決策にリアリティがないということがわからないとみなされる。

当然、評価も低くなります。


例えば、増加する高齢者の介護や医療をどうするのか?少子化対策として出生率を上げるためにはどのような手段を講ずればよいのか?といった問題が出題された場合。

様々な施設をあれもこれも作ればよい、必要な人材を確保するために賃金を大幅に上げればよい、必要なお金はすべて国が出せばよい...etc. 

こういう論文を書く人がけっこういます。


たしかに、お金がいくらでもあれば社会問題なんてほとんど解決するんですよ。

保育所や幼稚園の不足も、病院や介護施設の不足も、十分なお金があればすべて解決します。

保育士や介護士の最低年俸を1000万円とか、できるのであればこれらの人材不足も解消するのは簡単です。

格差の問題だってそうだよね。

貧困世帯には補助金を支給すればいい。

若者にも高齢者にも、補助金を支給すればいい。

障碍者にも外国人にも、補助金を支給すればいい。

お前は山本太郎か?れいわ新選組か?


問題はそんなに潤沢な資金がないこと。

あるいは、だれが負担するのか?ということです。

だから、こんな解決策を書いたところで、政治や経済、財政について現実的にきちんと考えることができないと思われるだけなんです。


財源をどうするのか、誰がどれくらい負担するのかなどを考えたうえで、実現可能性のある解決策を提案しなければ意味がない。

何でもかんでも国がお金を出せばよいといった解決策では、ドラえもんに頼めばよいと言ってるのと変わらない。

子どもでも書ける。


それを理解したうえで、あえて「国が潤沢に資金を供給すればよい」ということであれば、日本も北欧諸国のような高福祉高負担の国家にすべきだという主張をしなくてはいけない。

英米のような低福祉低負担の国、ヨーロッパ諸国や現在の日本のような中福祉中負担の国に比べて、なぜ高福祉高負担のシステムがよいのか。

そういう方向へシフトしていくことに対してコンセンサスが得られるのか。

そういった議論をしていくべきなんです。

それを書くのが小論文です。




2019年1月14日月曜日

小論文「あるある」④

前向きな解決策が書けない

(前回の続き)

次に2番。

暗くて悲観的なやつ。


たしかに現在の日本の社会状況を見るとどうしても悲観的にならざるを得ない。

財政破綻懸念、少子高齢化、人口減少、長期にわたる景気低迷、国際的地位の低下、格差の固定化など、まじめに考えれば考えるほど、現実的には解決不能で悲観的にならざるを得ません。

しかしだからといって、「解決不可能だから、どうにもならない」では、小論文を書く意味がありませんし、点数の面でも評価されません。

実際には無理だろうと思いつつも、多少のリアリティが感じられる結論を書かなくてはならない。


例えば少子化と人口減少について。

このトレンドをどう食い止め、方向転換していくのか。

普通に考えると、

1.出生率を上げる

2.移民の受け入れ

3.1と2の両方

の3つの解決策がある。

まあ、整理すると1と2の二つですね。


これをまじめに考えればどちらもおそらく無理でしょう。

1に関して言うと、子供手当や出産奨励金をばらまくとか、保育園や託児所、児童館など子育て環境をいくら整えたところで、出生率が上がるとは到底思えない。

だって、よく考えてみてください。

日本に関していえば戦後すぐとか、貧しい時代のほうが出生率は高かったじゃないですか。

現代でも、インドやバングラデシュ、アフリカ諸国など貧しい国や地域ほど出生率は高いじゃないですか。

そんな時代や国・地域に、子育てに必要な施設や環境が整っていますか?

子どもを産むことで補助金がもらえたりするのでしょうか?

豊かになればなるほど、女性が高学歴化すればするほど、出生率が下がることは世界中、共通にみられる現象ですよね。

だから、1の解決策はどんなに工夫してもおそらくうまくいかない。


では2はどうか。

これも政治的に無理でしょう。

普段、塾で若い人たちと接していて思うのですが、日本人はいまでも外国人に対する拒否反応や排他的な意識が非常に強い。

ネットの書き込みなんか見てると顕著ですが、とにかく外国人を受け入れることに抵抗がある人が多い。

特に若い世代にこういう傾向が強いのではないでしょうか。

これ、いつも不思議に思うことなんですけど、自分たちが海外に出ていくということに関しては積極的だし、外国の文化や情報に関しても興味や好奇心が強い。

その一方で、外国人が移民として、あるいは労働者として日本にやってくる、ある程度長期間にわたって居住するということに対しては、非常に強い拒否反応を示す。

治安が悪くなる、マナーを守らないなどの理由をつけ、何かというとすぐに「日本から出ていけ」だの「日本に来るな」だのといった発言をする。

ネットの書き込みなんか見ると、こういう発言で埋め尽くされているよね。

だからおそらく2の解決策も無理でしょう。


そうすると、近い将来の日本を考えた時、最も可能性が高いのは少子化と人口減少がますます進み、国力が衰退していく、国際的地位も低下していく、というシナリオです。

まじめに考えればそうなります。

しかし!

こんなことを書いてはダメなんですよ、入試の小論文では。

無理だろうと思いながらも、やはり書かなくてはいけないんです。

「働く女性が安心して子育てができる環境を整えることが少子化対策になる」とか、「移民受け入れに対する社会的コンセンサスを醸成していくためにはどのような方策が考えられるか」とか。

こういう前向きな解決策を書いていくのが、大学受験の小論文なんです。


本音と建前といいますが、試験とはやはり公的なものですので、そこでは建前の議論をしなくてはいけない。

本音を語ればいいというものではないのです。


小論文「あるある」③

問題を羅列するばかりで解決策がない(評論家的)


少子高齢化や格差、人口減少、女性の子育てと仕事の両立といった社会問題が、大学受験小論文のテーマとして取り上げられることがよくあります。

このような問題に関して、その解決策を求められた場合、具体的かつリアリティのある解決策を提示する必要があります。


一方、ダメなケースとしては、

1.問題を羅列するばかりで解決策が書かれていない。

2.悲観的で解決策が書かれていない。

3.解決策は書かれているものの、実現可能性や有効性においてリアリティがない。

などが挙げられます。

順に見ていきましょう。

まず1番。

問題ばかりをひたすら羅列して、最後に「これから解決していかなくてはならない課題が山積している」とか、「真摯な議論が必要だ」といった結論で終わっている。

これ、前にも書きましたが、新聞記事などによくある典型的なパターンですよね。

でも、これでは論文にならないのです。


問題を挙げたら必ず、それに対する解決策を提示しなければならない。

しかも、それはあなた自身が考える解決策でなくてはならない。

もちろん、あなたのオリジナルな解決策でなくてもいいんですよ。

世間で一般的に言われているようなものでもいいし、評論家や専門家が提言しているものでもいい。

しかしそれをあなたの考えとして表明する必要がある。

「評論家の○○先生がこう言っている」ではダメなんです。

「私が考える解決策はこれだ」という形で書かなくてはいけない。

他人の受け売りで後ろめたいと思うのであれば、「評論家の○○先生がこう言っているが、私もそう思う、賛成だ」という形で書けばよいでしょう。

あなたが支持する解決策であるということをはっきりと述べてください。


大学受験の小論文においては、あなた自身がどのような意見や考えを持っているのかということをはっきりと書かなくてはいけません。


2018年11月16日金曜日

小論文の書き方⑧:言葉づかい

小論文向きの言葉遣いとは

日本語には大まかに二つの言葉、話し言葉と書き言葉があります。

当然のことながら、皆さんが小論文で書くべきは書き言葉です。

このブログでは皆さんが読みやすいように、話し言葉をまじえながら書いていますが、小論文の試験では皆さんはもっと硬い表現を心がけてください。

思いつくままに文章を書いているとどうしても話し言葉になりがちですが、それをそのまま文章として書くのではなく、必ず書き言葉に翻訳するという作業を心がけるとよいでしょう。

迷ったらなるべく硬い表現を選ぶことです。


たとえ内容が同じであっても、口語調のやわららかい文章よりは、少し形式ばった書き言葉で書かれた文章のほうが「なんかレベルの高いこと言ってそう」とか「頭よさそう」とか、そんな印象を与えるんですよ。

ただし、自分でもよく意味のわかっていない言葉や古い表現、今ではあまり使われなくなった言い回しなどは避けてください。


悪い例              よい例
なので     →     したがって、だから、それゆえ、そのため、
みたいな   →     のような、など、
そういう    →    そのような、そういった、それらの、
なんかの   →    などの、のような、
お金持ち   →    富裕層、裕福な人、豊かな人、


「です・ます」調も避けてください。

小論文など公的な文章では、文末は「~です」や「~ます」を使わず、「~だ」「~である」「~と考える」などを用いるのが普通です。

また、男性の場合、一人称として「ぼく」や「僕」を使う人がいますが、これも避けたほうがよいでしょう。

小論文では「私」です。

2018年11月10日土曜日

小論文「あるある」②

自分の意見ではなくみんなの意見を述べている


小論文ではあなた自身の意見を述べることが重要です。

たとえそれが課題文の筆者の意見と同じものであったとしても、あなた自身の意見として、はっきりと主張してください。


何らかの意見を主張する時に、それを自分自身の意見としてではなく、日本人一般とか世間の人々とか、場合によっては人類とか、そういった不特定多数の人々の意見として述べるのはよくない。

例えば、「・・・であると考えるのが普通であろう」とか、「・・・とほとんどの日本人は言うだろう」とか。

こういう書き方はよくない。


意見を主張する際の主語は必ず「私は」「わたしが」です。

「日本人」や「多くの人々」ではありません。


結論に関しても同様です。

「我々みんなが真剣に議論していかなくてはいけない」とか、「これからの日本にとって大きな問題だ」とか、こういうのは良くないんですよ。

これから議論していくとか、考えていくべきではなく、現時点であなた自身がどう考えるのか、それを明確に書かなくてはいけない。


普段、授業で小論文を指導していると、こういったあいまいな主張や結論を書く人がわりと多いんですよ。

理由はいくつか考えられますが、まず第一に我々は普段のコミュニケーションにおいて自分の意見をはっきりと主張するということにあまり慣れていない。

むしろそれをぼかして表現することがマナーや礼儀となっている。

これは外国人からよく指摘されることですが、たしかにこういう面はいまだにとても強くあると思うんですよ、日本語でのコミュニケーションにおいては。


で、二点目として、そのような日本語的コミュニケーションが、新聞やテレビといったマスメディアの表現においても、あるいは政治家の発言などにおいても踏襲されている。

「これからの我々にとって大きな問題ですから、しっかりと議論していく必要がありますね」なんてこと、テレビの司会者やニュースキャスターも政治家も、皆さん言いますよね。

あなた自身はどう考えるの?どう思っているの?って、ついついツッコミたくなりますけど、それははっきりとは言わないことが多いですよね。

で、こういうのを毎日聞いているから、いざ論文を書くとなったときに、ついつい我々も同じような言い回しで結論を書いてしまう。

「難しい問題だ」で終わってしまう。

これではやはり、小論文としては不十分なのです。


小論文を書く際には、普段の日本語的コミュニケーションからはいったん離れて、自分自身の意見を明確に主張しなくてはいけない。

現時点であなた自身はそのテーマについてどう考えているのか、結論ではそれをはっきりと述べなくてはならない。

この点を常に意識して取り組む必要があります。


2018年11月5日月曜日

小論文「あるある」①

気がつくと課題文と同じことを言っている。
自分の意見を述べるべきなのに、課題文の要約になっている。

課題文を踏まえて自分自身の意見を主張すべき論文で、主張も論拠も課題文の筆者と同じ、課題文の要約を書いてしまう方がけっこういます。

もちろん、主張は課題文と同じでもいいのです。

しかしながら、主張が同じであれば論拠は課題文で取り上げられていないものを挙げる必要がある。

課題文の筆者と同じ意見を別の角度から述べる必要があります。

でなければ、それはあなたの論文ではなく、課題文の要約になってしまいますよね。


なぜこのようなことになるのか?


理由はいくつかあると思いますが、まず一番多いのが、課題文で取り上げているようなテーマについて、これまで一度も考えたことがないので、自分自身の主張や論拠を思いつかない。

だから課題文にどうしても引っ張られてしまう。

課題文の主張がすべて正しいと思ってしまい、それを疑ってみるとか、相対化してみるといったことができない。


次によくあるのが、課題文として取り上げられるような本や論文を書く人の意見なんだから、自分の意見や考えよりも優れているに決まっている、これに反論しても無駄だと思ってしまう。

こういう権威に弱い人が意外と多いんですよ、特に若い人は。

もちろん、謙虚であることは必要ですが、論文を書くからには何かしら自分の意見を主張しなくてはいけない。

課題文はいつも正しいとは限らないし、おかしな主張や非論理的な主張をしているものもけっこうあります。

課題文の主張は常に正しいとは思わないことです。


三番目として、課題文に反論すると点数や評価が下がるのではないかと思っている人がけっこういる。

試験の問題としてその文章を出してくるからには、出題者はその課題文の主張を正しいものとみなしているのだろうと、勝手に推測してしまう。

で、それに異を唱えたりすると、出題者の印象は悪くなってしまい、結果として点数や評価が低くなってしまうのではないか。

だから、課題文の筆者の主張には逆らわないほうがいいんじゃないか。

こんな風に考える人が、意外なことにけっこういるんですよ。


でも、そんなことは決してないですから、安心して反論してください。

課題文とは異なる論拠を挙げてください。

小論文の評価は意見や立場によって差がつくということはほとんどありません。

あるテーマについて、賛成と書いたから評価が高くなることもないですし、反対と書いたからと言って点数が低くなるということもありません。

大事なのはそのような意見の論拠がどれだけ論理的かつ明確に、わかりやすく書かれているか、説得力があるか。

ここで評価が決まります。


主張も論拠も課題文と同じでは、オリジナリティが全くありませんから、評価は低いものとなってしまいます。

なので課題文と同じ主張をするのであれば、課題文とは異なる論拠に基づいて議論を展開する必要があります。


 

2018年10月26日金曜日

小論文の書き方⑦:時間配分

何を書くか、構想は40分。  作業のペース配分を知ろう!

普段、小論文を教えているなかでいつも目につくことなんですが、時間を測って小論文を書いてもらうと、課題文を読んでいきなり文章を書きだす人がほとんどなんです。

「じゃあ、今から1時間でこの論文を書いてみよう」なんて言って問題を手渡すと、最初の5分ぐらいで課題文は読んでしまう。

で、いきなり書き始めるんですよ、原稿用紙や解答用紙に。

そんなに短時間でよくもストーリーが決まるものだなあと感心してみていると、2,3行書いて手が止まる。

しばらくするとまた書き始める。

2,3行書くとまた手が止まる。

しばらくすると、せっかく書いたものを一生懸命消しゴムで消している。

またしばらく考えて、2,3行書いて・・・。

これを一時間弱ずっと繰り返してるんですね。

で、書いたものを読んでみるとたいてい支離滅裂だったり、途中で主張が変わっていたり、テーマが二つあったり・・・。

とにかくおかしな論文になっていることがほとんどなんです。


当たり前ですよね。

よく考えずにとりあえず思いついたことを書いているだけですから、そこに一貫した論理があるわけがない。

最初にストーリーをよく考えずに書くとこうなってしまうんですよ。


きちんとした論理に基づく一貫性のある文章を書くためには、書き始める前にまずストーリーをきちんと完成させる必要がある。

テーマは何か、それに関する意見は何か、賛成なのか反対なのかをまずは決める。

次に、その主張の論拠、なぜそのような主張が正しいと言えるのか、論理的に考え、最後に結論を出す。

結論は主張と矛盾していないか、テーマとずれていないか、よく吟味する。

下書きとしてこれら一連の作業をきちんと完成させてからはじめて、原稿用紙や解答用紙に文章を書き始めるのです。


書きだす前にはもう既に一貫したストーリーが最初から最後まできちんとできていなくてはいけない。

後は文章を書くだけというところまで構想を練ってから、実際に文章を書き始めるのです。

で、もちろん文章を書き始めたら、途中で考えが変わったり、もっといいアイデアを思いついたりしても、絶対に内容を変えないこと。

最初に決めたストーリーで書いていきます。

でないと、前半と後半でテーマや主張が変わってきたり、おかしな文章になってしまうのです。


では、具体的にどのようなペース配分で下書きと清書をすればよいのか。

例えば試験時間が1時間、字数が800字だとすると、最初の30~40分は下書きにあててください。

30~40分かけてストーリーをしっかり考え、結論まで決めてしまえばあとは書くだけです。

800字、原稿用紙2枚程度ですから、文章を書くだけなら20分もあれば十分です。

考えながら書いていると時間がかかりますが、内容が決まっていればすらすら書けるはずです。

試験対策として普段から論文を書く練習をする場合、このような時間配分で制限時間内に書くことを心がけるとよいでしょう。