2018年11月10日土曜日

小論文「あるある」②

自分の意見ではなくみんなの意見を述べている


小論文ではあなた自身の意見を述べることが重要です。

たとえそれが課題文の筆者の意見と同じものであったとしても、あなた自身の意見として、はっきりと主張してください。


何らかの意見を主張する時に、それを自分自身の意見としてではなく、日本人一般とか世間の人々とか、場合によっては人類とか、そういった不特定多数の人々の意見として述べるのはよくない。

例えば、「・・・であると考えるのが普通であろう」とか、「・・・とほとんどの日本人は言うだろう」とか。

こういう書き方はよくない。


意見を主張する際の主語は必ず「私は」「わたしが」です。

「日本人」や「多くの人々」ではありません。


結論に関しても同様です。

「我々みんなが真剣に議論していかなくてはいけない」とか、「これからの日本にとって大きな問題だ」とか、こういうのは良くないんですよ。

これから議論していくとか、考えていくべきではなく、現時点であなた自身がどう考えるのか、それを明確に書かなくてはいけない。


普段、授業で小論文を指導していると、こういったあいまいな主張や結論を書く人がわりと多いんですよ。

理由はいくつか考えられますが、まず第一に我々は普段のコミュニケーションにおいて自分の意見をはっきりと主張するということにあまり慣れていない。

むしろそれをぼかして表現することがマナーや礼儀となっている。

これは外国人からよく指摘されることですが、たしかにこういう面はいまだにとても強くあると思うんですよ、日本語でのコミュニケーションにおいては。


で、二点目として、そのような日本語的コミュニケーションが、新聞やテレビといったマスメディアの表現においても、あるいは政治家の発言などにおいても踏襲されている。

「これからの我々にとって大きな問題ですから、しっかりと議論していく必要がありますね」なんてこと、テレビの司会者やニュースキャスターも政治家も、皆さん言いますよね。

あなた自身はどう考えるの?どう思っているの?って、ついついツッコミたくなりますけど、それははっきりとは言わないことが多いですよね。

で、こういうのを毎日聞いているから、いざ論文を書くとなったときに、ついつい我々も同じような言い回しで結論を書いてしまう。

「難しい問題だ」で終わってしまう。

これではやはり、小論文としては不十分なのです。


小論文を書く際には、普段の日本語的コミュニケーションからはいったん離れて、自分自身の意見を明確に主張しなくてはいけない。

現時点であなた自身はそのテーマについてどう考えているのか、結論ではそれをはっきりと述べなくてはならない。

この点を常に意識して取り組む必要があります。